時は16世紀、エリザベス1世の華やかな治世。1576年のザ・シアター(イングランド初の演劇専門劇場)にはじまる劇場建造の流れの中、1599年にロンドンのはずれ、テムズ川の南岸にグローブ座が建設されました。グローブ座は、ザ・シアターを取り壊した後、その材木を川の南岸に運んで建てられた20角形の円筒形の劇場でした。収容人数は2000人を超える大きな建物で、小塔状の階段の上り口に入口の扉が2つあり、ロビーを抜けて平土間へと続いていました。観客は土間に立って舞台を見、座席に座りたいときには追加料金を払って、桟敷席へと上がって行きました。
ウィリアム・シェイクスピアは、1564年4月23日、ストラットフォード・アポン・エイボンの商人の家に生まれました。4歳のとき、父親はストラットフォードの町長になりましたが、やがて没落、シェイクスピアが14歳のときには家を抵当にして借金をするような生活になっていました。彼は父の没落ゆえに大学進学もならず、18歳で結婚して3児の父となりますが、23歳の頃に妻子を残してロンドンへ行き、演劇の道を歩みはじめました。1580年代後半のことでした。
シェイクスピアはロンドンの宮内庁一座に劇作家兼役者として籍を置き、やがてグローブ座の建造にあたって5人の株主(投資家)の一人となりました。これによってシェイクスピアは劇場の共同所有者となり、文字通りシェイクスピアの劇場、グローブ座が誕生しました。
シェイクスピアは20代後半になって劇作家として認められるようになりました。グローブ座では毎年シェイクスピアの新作芝居が2本上演されました。座付き作家シェイクスピアは、グローブ座での上演を目的に芝居を書いたのです。その後、1616年に没するまで、20余年の間に37本の芝居を書き残しました。
1613年6月29日、グローブ座は火事で焼失し、翌年第2グローブ座が開場しました。
しかし、清教徒革命さなかの1644年にそのグローブ座も取り壊されました。ロンドンにグローブ座が最初に建造されてから約400年後の1988年、そのグローブ座を全国に先駆けてほぼ忠実に再現した「東京グローブ座」が誕生しました。
※1997年シェイクスピアの活動の拠点ロンドンに、現在の「グローブ座」が再建されています。
(参考資料:三省堂図解ライブラリー「シェイクスピア劇場」)